2024年11月9-10日、南山大学にて日本広報学会第30回研究発表全国大会が開催された。
今回の統一論題は「もの言う広報:社会課題への沈黙は正しいのか?」であった。
本稿では、日本広報学会の会員でもあり、参加者のH氏が、EUPRERA2023の主催校からゲスト講演者として招かれたデニーサ・ヘイロワ氏の基調講演1「パラダイム・シフト:企業のコミュニケーションにおける責任のあり方の変化」を中心に本人の視点とあわせ、報告する。
今回、統一論題が「もの言う広報:社会課題への沈黙は正しいのか?」ということで、現在の自身の業務とも深く関わるテーマであったため、参加することにした。 本稿では主にデニーサ・ヘイロワ氏の基調講演「パラダイム・シフト:企業のコミュニケーションにおける責任のあり方の変化」についての感想を中心に、企業の社会的責任とそれに基づく「責任あるコミュニケーション」について考えてみたい。
今回、ヘイロワ氏は講演の中で、企業のコミュニケーションは、これまでのように「良いことをした」というアピールをするだけでは足りず、どのように社会課題と向き合い、認識し、それに対処していくか、という気候変動をはじめとする地球規模の社会課題に対する自らの姿勢を明らかにする「コーポレート・ソーシャル・アドボカシー(Corporate Social Advocacy: CSA)」という考え方が重要であると強調した。「良いこと」をアピールすることで、「良くないこと」から目をそらすような態度「グリーン・ウォッシング(Green Washing)」は日本でも良く知られるようになってきた。これに加えて、「良くないこと」について意図的に沈黙し、行うべき行動を行っていないことがわかってしまうような情報開示を行わない「グリーン・ハッシング(Green Hushing)」も、近年指摘されるようになってきたとしている。
このCSAの事例としては、ヘイロワ氏の講演の後に基調講演を行ったアサヒビールの「スマドリ&レスドリ(Smart Drinking & Responsible Drinking)」が大変わかりやすかった。アサヒビールは酒造メーカーとして、未成年飲酒、多量飲酒、それらによるトラブルや健康被害といったアルコールがもたらす「害」に向き合い、メーカーの責任としてこの問題に取り組むとして、「スマドリ&レスドリ」のキャンペーンを行っている。自動車メーカーなどが、車による様々な「害」と向き合い、大気汚染削減のための排ガス規制や事故削減のための安全装置の開発などに取り組み、それを発信するのもこのCSAの取り組みの一つと言えるだろう。自動車メーカーはこれによって実際に多くの交通事故を減らし、なおかつ「安全性能」という新たな商品価値を生み出した。すなわち、CSAとは企業がその経済活動においてもたらす「負」から目をそらさず、それすら企業の利益につながるような活動に変える、したたかな戦略ともいえるかもしれない。
企業活動に伴う「負」を、他者に押し付け、あたかもそれがなかったようなことにすることを、「外部不経済」「負の外部化」などという。わかりやすいのが「公害」である。日本でも過去様々な公害と被害者による訴訟などがあり、一定程度の企業の責任は可視化されるようになった。しかしながら先進国の大量生産・大量消費文化においてはまだ隠されたり、認知されていなかったりする不経済は多くある。大量の廃棄物、温室効果ガスの排出、環境破壊、プラスチック廃棄物、過剰労働や児童労働に賃金格差・・・世界中に網の目のように張り巡らされたサプライチェーンの隅々まで見渡せば、それぞれの問題が複雑に絡み合いながら、最終消費者の目から見えないところで多くの問題を引き起こしていることがわかる。
インターネットで世界がつながり、ソーシャルメディアで一人一人が見たもの、聞いたもの、感じたことが共有され、可視化されるようになったことで、こうした様々な不経済が多くの人の目に触れるようになった。CSAとはすなわち、こうして可視化された不経済に対する責任を、ようやく企業に問えるようになった人々から、企業への回答が求められた結果生まれてきた考え方とも言えるかもしれない。
ここまで見てくると、企業がCSAに取り組むのは良いことであり、難しいながらも「負」にあたるものに向き合えば良いのだ、と思える。しかしながら、ヘイロワ氏は、ことはそう単純ではないことを指摘している。先述した通り、サプライチェーンとそれに関わる地域や人々の事情、それに国家間の政治や経済の問題が絡んでくると、「負」を特定することすら難しい場合が出てくる。
例えば、戦争に使われる武器の製造や輸出にはネガティブな印象を持つ人がほとんどだろう。だが、ウクライナ戦争にあたり、「ウクライナへの武器の供給」は、多くの人にとって「正」の選択肢となった。世界中の多くの人々がウクライナのために募金を行ったが、そのお金の一部は人を殺すための武器の購入に充てられる。日本でもこの問題はソーシャルメディアなどで大きな議論となり、武器購入に充てられない募金先が紹介されるなどしたことを覚えている方も多いのではないだろうか。だが、ウクライナに武器が供給されなくなればウクライナは戦争に負け、ロシアによって蹂躙され多くの人々が苦難に陥るだろう。これは正しいことだろうか。一方で、大量に人を殺すための新たな武器が製造され、戦場に供給され、大量の殺人とCO2排出が起こることは人類にとって正しいことだろうか。武器を製造する企業を儲けさせることは、私たちが望む未来につながる行動だろうか。
私たちは、この武器製造メーカーの広報担当であったなら、どのようなCSAを行うのだろうか。行うことができるのだろうか。
いずれにせよ、ヘイロワ氏のプレゼンは企業のコミュニケーション担当者としてCSAに取り組むことは簡単ではなく、倫理的に、時には哲学的な問題にも直面しながら、考え抜く必要があると示唆したのだと理解した。
ところで、ヘイロワ氏は講演の中で、CSR(Corporate Social Responsibility)、SDGs(Sustainable Development Goals)、ESG(Environment、Social、Governance)の違いに関して説明した。CSRは「良いこと」を言う企業のコミュニケーションだった。Green Washingという批判もあり、最近では下火になっている。SDGsは日本ではよく知られているが、ヨーロッパではほとんど知られていないそうである。ヨーロッパで主流となっているのはESGであり、EUで法制化されてもいる。EU諸国とビジネスをするならこのESGに配慮しなければならない、SDGsはほとんど知られていないので情報開示の際は注意が必要だ、という文脈だったと理解している。
ここで気になったのが、「SDGs」という言葉に冷笑的な態度を見せる方が少なくないように感じられたことである。ヘイロワ氏は自身を「皮肉屋だ」と言いながら、彼女からもこの空気が感じられるように思った。だが、SDGsもESGも、目指すものに違いはない。個人的には、いずれも人類の叡智の結晶であり、何ものにも脅かされない安全と平和への希求そのものであると思う。
社会人として働く中で、自分が幼いころから教えられてきたこと「嘘をついてはダメ」「人の嫌がることをしてはいけない」「ごみを道端に捨ててはいけない」「人を傷つけてはいけない」「差別はダメ」「みんな平等に」などの当たり前の価値観に反する言動が、「清濁併せ吞んでこそ一人前」などと言われ、称賛される場面に出会うことは、一度や二度ではなかった。私はこれこそが、Green Washing、Green Hushingの正体だと思う。「潔癖」、「おこちゃま」、「非現実的」などの言葉とともにSDGsを冷笑する姿勢では、その企業が存在するうえで不可分なものとして抱える、抱えざるを得ない「負」を視界に捉えることすら難しいのではないかと思う。
何が「負」なのか、人類にとって正しい選択はどちらなのか、人類が求めるものとはなんなのか、それらが詰まったものがSDGsでありESGではないかと私は思う。CSAに取り組む広報担当者にとってこそ、SDGsやESGは拠り所にすべきものである。「いや自分はいち企業のいち広報であって、人類とか地球とか、そんな大きなものを考えるような仕事はしてないんで」と思われるだろうか。SDGsのひとつひとつのゴールは、そんなに大きなことは言っていない。貧しい生活は嫌だな、安心して道を歩けないような生活は嫌だな、いつでも清潔で安全な水が飲めない環境は嫌だな、病気になっても病院に行けないなんて嫌だな、そうは思わないだろうか。SDGsに込められているのはそんな一人一人の思いではないかと思う。それさえ押さえれば答えが見つかるというものではない。ウクライナの事例のようなことは、私たちは考え抜かなければならない問題だと思う。それでも、SDGsやESGなどの、先人たちの知恵の結晶が私たちの判断を支えてくれる。
テクニカルには、CSAに取り組むにあたり、経営陣をどう説得するか、経営方針にいち広報が口をはさめない、広報戦略と経営戦略をリンクさせられるのか、などなど、問題は多くあるだろう。だが少なくとも、企業のコミュニケーションに携わる私たち一人一人が、その矜持としてこの問題に取り組む姿勢を保ち考え続け、声を上げ続けることが、企業の、ひいては社会と人類のウェルビーイングに貢献すると信じている。
(執筆:H )